人気ブログランキング | 話題のタグを見る

マリオのこと

夜、同居人が帰ってきて「イタリアから手紙が来てるよ」と言った。
私は夕食の支度をしていた。
「ローマのシモーナから」
「シモーナ?」
ふと考えて、「あ、マリオの娘だ」
えっ、娘から手紙が来るってことはマリオに何かあったのかな?
気になって晩ごはんを食べる前に手紙の封を開けた。
悪い予感は当たっていた。
「あなたに悪い知らせです。パパは1年前に亡くなりました。」
肺に腫瘍があったらしい。
マリオと最後に会ったのは、2001年の6月。
もう一回会いたかったよ。

マリオはローマに住むカメリエーレ(レストランのウエイター)だったおじさん。
私が初めてローマに行った1991年の11月に知り合った。
テルミニ駅近くのホテルに1か月ほど長居していた時、毎晩のように食べに行っていたレストランにいた。
初めは普通の観光客を装っていたのだが、ホテルの主人が何かの用でレストランに来た時、私がサッカーを見にローマに来ていることがばれてしまった。
マリオは生粋のラツィオ・ファンだった。
私はローマのファン。
その日から、毎晩ローマニスタ(ローマのファン)とラツィアーレ(ラツィオのファン)の言い合いが始まった。
この時の私はほとんどイタリア語ができなくて、マリオが何を言っているのか理解できなかったのだが、毎年行くようになって悪口の応酬もできるようになった。
そう、マリオはイタリアで初めてできた友人だった。

一人でイタリアに行くようになった時も、マリオのところに行けば淋しくなかった。
偏食な私がメニューにない物を頼んでも作ってくれたし、それまで食べられなかったフライドポテトが食べられるようになったのもマリオのおかげ。
他のお客さんに「この子は日本からサッカー見に来てるんだよ。娘みたいなもんなんだ。でも、ローマファンだけど」とうれしそうに紹介してくれたっけ。
「娘」と呼ばれるには、マリオが気の毒だけど。
当時、マリオは50代だったはず。
その後、定年でカメリエーレを辞めて、今度はバール(喫茶店)のウェイターになった。
そこで娘のシモーナさんと一緒に働いていた。
私はいつもコーヒーをおごってもらっていた。(悪い客でごめん)
イタリア人って怠け者だと思ってる人が多いけど、お店の人たちは本当によく働く。
特にバールの人は朝から晩まで働いてる。

私は毎年、イタリアの友人たちにクリスマスカードを出してる。
残念ながらこういう点イタリア人はマメじゃないので、ほとんど返事は来ない。
でも、次に行った時に私のこと覚えてくれていたら、それでいいから。
それが今年は娘さんから返事が来るなんて。
去年のクリスマス・カードには「今季はローマの調子が悪いけど、今度のデルビー(ローマ対ラツィオの直接対決)はローマが勝つよ」と書いた。
結果はラツィオが3-0で勝った。
でも、今季のラツィオは資金がなくて、よい選手をほとんど放出して、成績もローマより悪い。
セリエB(2部)落ちもありえるかもしれない状態。
そんなことになったらデルビーも見れなくなる。
ここはマリオのことも思って、ほんの少しラツィオの応援もしてやるか。

マリオ、もう一度会いたかったよ。
もう一回ローマの悪口言ってよ。
by ilprincipe | 2005-02-24 22:46 | イタリア